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ありがとう 

ご無沙汰になってしまった"(-""-)"
何かとバタバタとして地下に潜っていたので、久しぶりの更新になります
ようやく落ち着いたのでそろそろ復活をと…

何がバタバタだったのかを記録としておこうかと思いまして(;^ω^)

長文で面白くない内容になりますので、興味のない方はパスしてください
12月7日、うち夫婦と姉夫婦が実家に呼ばれ、11月中旬より腰痛、腹痛があり、12月3日に隣市の病院へ受診したと、父(爺ちゃん)より告白される。MRIでわからなかったが、再度造影剤を入れ検査したら膵臓癌のようだということで、中旬により細かい検査のため別の病院で1日入院すると告げられる。2012120908.jpg

12月15日に検査を受け、下旬に結果が出たが、母は泣くばかりで癌は決定のようだった。まだこの時は、手術や抗がん剤治療などをすると思っていた。

年末には痛みで背中を丸くして耐えている姿をよく見るようになった。その為、わたしが餅つきを代わりにしたのはこの為であった。痛み止めの薬は出ているが、古い人間の為薬に頼らず気力で…という気持ちなのだろうか。痛みが頂点になり薬を飲むので、すでに効かない。
正月も痛みに耐える姿が続く。

1月3日姉家にて新年会。“痛みがひどければ実家に来てもらう?”と尋ねたが、“行く”と言うので、姉の家へ。その時も、背中を丸め我慢する姿。食事もほとんどできない状態であったが、“お前カメラ持ってこなかった?”と言う。持ってくるつもりで準備していたが忘れてきた…姉家にはカメラがなく、最新鋭の携帯がママさんのiPhone6だったので、それで撮影。父と母と、父と5人の孫と、セルフタイマーで全員…。父はいつも撮るばかりだったので、自分が入っている写真は少なく、何かを感じていたのだろう、痛い中も笑顔で写真に写っていた。
2015022002.jpg2015022003.jpg

1月7日、検査結果を持ち最初の病院へ受診。半日仕事へ行き一緒に聞くことに。
他の病院で検査を受けたのは、本当に癌なのかを調べに行ったのだと思っていたが、癌の種類を診るための検査だった。進行が早い最悪のタイプとのこと。その時初めて“余命3カ月”と診断されていたことを知った。
治療をどうするか?手術は不可能。当初本人は抗がん剤での治療を望んだとのことであったが、検査結果より医師より緩和ケアを進められる。
78歳という年齢により、抗がん剤は若い70代前半までを対応としていて、高齢のため抗がん剤で苦しんでも、数カ月延命するだけ。苦しい思いをするよりも、痛みを取ってゆっくり過ごした方が…とのことであった。父は迷わず緩和ケアを選択した。母は“治療しないの?”と一言言ったが、その後は何も言わず。

桜の咲くころかな…?
ふたりの時、そっと桜の咲くころまで頑張ろうと、父に言う

1月14日、2泊3日の体験入院のつもりで入院することになり手続きなどのため同行する。体験入院しながら、痛み止めの薬の量も調整するとのことであった。その際、父に内緒で、“翌日、もし可能でしたら家族が集まってください”とのことで、姉夫婦にも連絡。

1月15日、母、うち夫婦、姉夫婦とともに、医師より癌の状態について説明を受ける。
膵臓癌は発見されにくく(毎年ドックは受けていたが…)、発見された時はすでに進行していたとのことで、“ステージ4”“リンパ転移”“肺にも少し”との診断を受け、“本人には3ヵ月と言ったが、初受診の状態だと通常1カ月”とのことであった。
ということは、寒い季節…桜には間に合わないか…。
軽い気持ちで入院をしたが、痛みを我慢し、なかなか薬を飲まず、看護師さんにも“飲まなくて…”と訴えられる。薬の量が増える=病気が悪くなっている、と思い込み本人が納得せず。ギリギリまで我慢することで、薬を飲んでも効かない状態。痛みだしたらすぐに飲めば効いてくるはずだが、我慢するんですよね。
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1月18日外出許可をもらい一時帰宅。用事があり迎えに行けなかったが、実家に行くとまさかの床屋に行ってる発言。いつもは歩いていく距離だが、姉に車で乗せて行ってもらい、帰りは迎えに行った。父の兄妹も集まってきて賑やかに。何せ、父は5人兄妹で唯一の男、うるさいうるさい。病院へ送りながら、うるさくて疲れた…と言っていた。

翌週 “外泊すれば”と言ったが、“まだいい。夜が大変だから”との返事で、1月25日も外出帰宅。母と迎えに行く際、“外泊させればよかったのに”“外出さえも最後になるかもしれないよ”と言った。それほど体力が落ちてきているように見えた。今度は好きな風呂に入ってのんびりできたようだったが。

毎日会社帰りに顔を見に行っていたが、この頃になると体力がなくなっていくのを感じる。起きて食べていたご飯が、寝ながら食べるようになる。トイレも歩いて行けなくなるなど、日々変化が出てきた。
翌週より、外出もできなくなる。やはり、先週が本当に最後の外出となった。医師もタイミングみて外出、外泊を勧めるが疲れるので行かないみたいだ。2月に入り、“今週は持った”から、“今日は持った”感がすごく出てきた。一日一日を乗り越えるような日々。

インフルエンザの時期でもあり、子供や不特定の多数の面会も制限をされていたが、“先週、孫に会えなかったので、子供を会わせたい”と申し出ると、“会わせたい人は合わせてください”とのことで翌週末予定をしたが、まさかのママさんのインフルエンザに感染し、子供に感染すると会えなくなると思い、2月5日子供たちが学校より帰宅するのを待ち急遽面会に行く。看護師さんも、“孫を見るときはいい顔してる”と言うほど上機嫌。

2月8日早朝5時30分、突然家の電話が鳴る。“ついに…”と思いながら電話をとると、母からで、“父の様子がおかしい”とのこと。急いでママさん、子供を起こし準備をし、母を乗せて病院へ向かう。車内で話を聞くと、父が叔母などに携帯電話を掛けまくってるらしい。姉にも電話して病院につくと、今まで2人部屋だったが個室に移されていた。“何、こんなに呼んでるんだ!!”と怒っている。まだ威張る元気があり内心ホットしたが、だいぶ興奮気味で少し錯乱状態であったらしい。だんだん状態が悪化している状態だと看護師より説明があり。この日より、母も病院に泊まるようになる。
この事件以降、トイレも困難なため、紙おむつをするようになる。通常、勧めても拒否されることが多いが、父は自分から言いだしたらしく、看護師も感謝していた。
2014112401.jpg

2月9日病院に行くと、“時間があったら髭剃りしてくれ”と言われる。“いいよ”と言っても電気カミソリだけど、それさえも自分でやる力はないみたいで、だ。入院しているのにとても身だしなみを気にする。床屋もできるか看護師に聞いていたぐらいだが、自分から見るとそんな伸びてる感はないのだけれど…

2月10日、会社帰りに病院へ寄ると、父より“ママさんのお父さん、お母さんに来てもらって”と言われる。自分から誰かを呼んでといったのは、後にも先にもこの時だけだった。家に帰り、お願いの電話を掛ける。ママさんのママもそれほど悪かったとは思っていなかったらしい。

2月11日、待ち合わせを行い病室へ。ママさんの両親を見ると手を挙げ、起き上がるかと思うほどであった。かすかな声で“よろしく”と伝え涙ぐむ。その後、東京、埼玉にいる兄妹も来て、再び病室がにぎやかになるが、父は軽く返事をするのみ。病室がうるさいのはみんなに迷惑が掛かると気にしているようだ。その後、母方の兄妹もお見舞いに来た。この日は、多くの見舞客に少し疲れたかな?
2010102302.jpg

2月12日、この日は朝からとても気になる日。以前、父と話をしている時、“俺は婆ちゃんの命日かもしれない”なんて言ったことがあった。“婆ちゃんは1月だよ”とあえて言ったが、“月命日だよ”って。その日が12日。
ちょうど昼休みに入ろうとした時母より電話。“12日過ぎればいいって、朝からご飯も、薬も水も飲まない”って泣きながらの電話。“すぐ行くから”と、午後より年休をもらい病院へ直行。
着いてみると体全体で呼吸する姿であり、明らかに前日とは違う。反応も薄くなっているようだが、すぐにどうこうもないようだ。せっかく来たので母に用事を済ませてきて、と送りだす。“歯医者の予定だが今日はキャンセルする”と言ったが、“今後いついけるかもわからなくなるので、今日行きな”と送りだした。
16時を待ち姉の職場へ電話し、義兄、姪を呼ぶ。ママさんも子供の学校が終わるのを待ち迎えに戻る。近隣の叔母(父の姉2人)も呼ぶ。病室も随分と賑やかになった。20時までいたが、翌日も学校のため帰ろうということになり、母、姉、自分は泊まることとし帰って行った。
夜になると、目が覚めたように眼を開けている時間が長い。痛いようなので、座薬を入れるか聞くと頷くため、看護師さんに入れてもらう。少しは楽になったのか、照明を落としベッドの脇で久しぶりに親子水入らずと昔話が弾む。父も時々頷いたり微笑んだり。しかし、時間が立つのが遅い…。

12月13日、ついに魔の12日が過ぎた。相変わらず体全体で呼吸しているようだが、看護師曰く“これが一番楽な呼吸方法”だそうだ。0時30分頃、大きく呼吸していた父が、突然静かになる。
!!!
その後、また静かに呼吸したようだが、明らかにおかしく看護師を呼ぶ。
“残念ですが、脈、呼吸ありませんので、御家族を呼んでください”とのこと。姉ととも電話し、1時過ぎに全員集合。
1時18分医師により告知され、78歳で生涯を閉じた。
苦しまず、眠るようだったのが救いかな。こんなにあっけなく逝くなんて。

午前3時頃、父が家に帰宅。

お疲れ様、お帰りなさい。
そして、いままでありがとう。

友引が重なったこともあり、のんびりと過ごしつつ、いつの間にか喪主になっていた。
12月15日通夜式、翌16日葬儀告別式後、火葬。さすがに火葬前は感極まり涙が出てくる。上を向いて涙がこぼれないようにするのが精一杯であった。

そんなこんなで、父が入院し、怒涛の1カ月が過ぎたのでした。

そうそう、1月3日に携帯電話で撮った写真がまさかの遺影の写真になったよ
2015022001.jpg


しばらくロンココの相手をしていなかったので、怒ってるようで(;^ω^)
ロンココの大好きな爺ちゃん居なくなっちゃったのわかってるのかな?もう野菜もらえないかもよ~

ってことで、いつも通りの生活に戻っていくのであった

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